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おやすみなさい、優しい王子-舞台「Hamlet」感想-

2019年10月5日(土)、風磨くんが主演を務める「ハムレット」を観劇した。

 

私にとって初めての東京グローブ座Twitterでさんざん見たくせに、実際あの大きなハムレットの看板を見た時は新鮮な驚きがあった。

風磨くん一人の写真がこんなにも大きく掲げられているのがとても誇らしく、感動した。

 

丸いステージを半分以上、3分の2くらいを囲むように客席がある造りの東京グローブ座。中に入るなり驚いた。嘘でしょ。近い狭い近い。

私の席は2階席の最後列。にしたって近い。もっとステージから離れていて、もっと見下ろす形になると思っていたけどそうでもなくて素直に嬉しかった。

ドームやアリーナに慣れてしまった私には、グローブ座の狭さに驚愕したと同時に、これはチケット取れないはずだと納得。

1度でもグローブ座でのハムレットが観劇できる機会に恵まれたことに、より深く感謝した。

 

12:30定刻。開演。

ステージ中央がスモークで覆われた中、声だけが聞こえる。霧が晴れていくように徐々に人影が見える演出にまず感動した。

何て緻密な。スモークの量とか照明の具合とかかなり計算された演出。

この冒頭のスモークのように、見せ方・魅せ方が上手いなー!と。誰目線だよって思われても仕方ないけど、そう思ってしまった。

 

舞台はとてもシンプルでほぼセットは無し。あってテーブルと椅子が何脚か。あとは照明で雰囲気を作っている。

ちなみに私が好きだったのは、多用されてたモノクロのモヤモヤしたマーブルみたいな、床に映されていた照明。2階席だからこそ床に当てられた照明が良く見えて、より雰囲気が分かるのが良かった。

舞台と聞くと勝手に劇団四季や宝塚のような豪華なセットを想像してしまうから、このシンプルさに驚いた。これは完全に演者の演技力の高さが必要じゃないか。

それでも、場面が想像できたのはキャスト皆様の演技力、表現力のなせる業なんだろう。あと日本語訳の文庫を事前に読んでいたことが大きい。

 

このハムレットの上演が決まった際、脚本は松岡和子さん翻訳のハムレットだと知り文庫版を購入して2回読んで予習。

そのおかげもあり、難しいイメージのハムレットがスッと理解できた。『私この問題知ってる…!』という進研ゼミ体験をこの舞台でするとは。

しかも文字だけでは分かりにくかったニュアンスや感情が伝わるからより楽しめる。観劇後再度読み返したら、めちゃくちゃ分かりやすくてどんどん読み進められた。今度はムスカ体験。読める、読めるぞ…!!

 

意外だったのが、結構客降りするということ。

セットがシンプルだからそうしたのか、そうするからセットをシンプルにしたのかは分からないけど、長時間の上演だしこうして役者が色んな所に登場するのはいいのかも。だらけないというか。メリハリがつくのかな。実際観劇してみて、中だるみが無いと思ったし。

ただ、客降りした時スポットライトの端だったりその光で観客の顔も見えてしまうのが、なんだかちょっと冷めた。急に現実に戻る感じ。なるべく見ないようにしても、どうしても視界に入ってしまうし。しょうがないことなんだけど。

 

原作(というか翻訳本)を読んでいたからこそ、どこをどのように削ぎ落すんだろうかと思っていたら、ほぼそのまま上演したものだから驚いた。あの長ったらしいハムレットの独白も、全部。

圧倒的だった。狭い会場でステージが近かったせいもあるだろうけど、こんなにも一人の人間からのエネルギーを感じることってそうそうない。

ほとんどセットの組まれていないステージの上でたった一人、孤独に激情を吐き出すハムレット。精神を震わせるハムレット

圧巻だった。ああ、凄い。引き込まれる。飲み込まれる。外からハムレットを見ているのに、グローブ座がハムレットとなり、自分が彼の中に入っているみたいだった。

 

舞台を見て印象ががらりと変わったところがある。

ハムレットがガートルードの部屋でポローニアスを刺殺したシーンだ。

隠れて聞き耳を立てているポローニアスに気付いて「ネズミだ」と言って刺し殺すハムレット。その後ガートルードとの会話で「おやすみなさい」と数回言うのだけれど、この「おやすみなさい」が『さようなら』に聞こえて仕方がなかった。

息子をどうにか正気に戻し、家族円満に過ごしたい母親。義父への復讐を諦めきれない息子。

殺人という罪を犯してしまった。そしてあなたの夫であるクローディアスへ復讐する。もうあなたの愛する息子ではなくなってしまった。

―――さようなら、ごめんなさい、さようなら。

―――せめて今夜はどうか良い夢を。おやすみなさい。さようなら。

 

風磨くんの言う「おやすみなさい」がとにかく悲しくて寂しくてずっと胸に残った。

ここが一番好きなシーンになったし、もう一度見たいと思ったシーン。

 

この物語の「おやすみなさい」って、とても悲しいお別れの言葉として使われているように感じた。

ハムレットに酷い言葉を言われて傷ついて、父親も死んで気がふれてしまったオフィーリアも最後に「おやすみなさい」と言って出ていくし、ホレイショ―は死んでしまったハムレットを抱き締めながら「おやすみなさい」と悲しみの中伝える。

悲しい。とにかく、この劇中に出てくるおやすみなさいを聞くと、とても悲しい気持ちになる。

 

風磨くんは最初から最後までハムレットだった。その時代のデンマークに生きる青年で、王子で、王位継承者だった。

特に三幕で白い衣装を纏って登場したとき。ああ、王子なんだと思い知らされた。ちゃんとこの人は王子なんだ、と。

勿論風磨くんはカッコいいし、衣装で王子様みたいな恰好もするし、ステージの上ではキラキラして眩しいけれど、王子様って思ったことはなくて。あんまり結びつかないというか。

でもめちゃくちゃ王子様で高貴で驚いた。

 

風磨くんのハムレットって、なんだろう、愛おしい。うん、愛おしい。

原作読んでいるときはそんなこと感じなかったし、物語の理解が追いついてない事もあって感情移入もしにくいし、よくわかんないなーって印象だったけど。

ハムレットの愛情深さが伝わる「ハムレット」だった。

両親への愛、親友への愛、恋人への愛。たくさん愛を持っている青年だった。

その愛が恋人のオフィーリアへうまく伝わってない事が悲しくもなった。

 

観劇数日前に、風磨くんの「尼寺へ行け」は「愛してる」にしか聞こえないという内容の感想を見かけた。

まさにそれ。こんなに切なくなる「尼寺へ行け」ってある?

ねえオフィーリア、なにを悲しみ嘆く必要があるの。こんなにも愛されているのに。

たしかに恋人がおかしくなっちゃってあんな態度取られて、悲しいし、ショックだと思うけど。よくある本人だけが分かってないって状況なんだけど、それがもどかしくて、悲しくて、やりきれなかった。

オフィーリアの埋葬の場面では、ハムレットとオフィーリアだけが白い衣装だったのが印象的。まるで結婚式みたいだ。

 

ところどころ笑えたことが不思議だった。悲劇なはずなのに笑いが起きる。

私が舞台のハムレットを知らなくて、一度も見たことがないからかもしれないけど、てっきり最初から最後まで暗くて重い雰囲気だと思い込んでいた。

そして大人向けだな、とも思った。わりと下ネタという意味で大人向けというのもあるし、ハムレット本人が頭が良い、回転が速いというのもあるんだろうけど。

私が今まで見てきた舞台の中には、シリアスなシーンの隅っこでひょうきんな役がちょっとふざけて笑いを取るというような、雰囲気ぶち壊し系も少なくなかったので、このちょっとしたおふざけシーンはとても好感が持てた。

 

古典作品で時代もうんと昔の物語で国も違うのに、古臭く感じない。しかし現代に置き換えてるわけでもなくて、言葉だって変にアレンジしてなくて、ちゃんとその時代だと感じられる。とても絶妙なライン。これが演出の力なのかな。舞台の事はさっぱりだし、詳しくも無いけど。きっとそうなんだろう。

 

初めて見るハムレットがこれで良かった。そして、他のハムレットは一体どんなものなのか興味が湧いた。でも、別のハムレットを見てイメージが変わることも怖いと思ってしまうジレンマ。

 

 

見終わった後の感動や高揚感や、どこか清々しく思える疲労感は忘れられない。

見くびってたわけではない。きっと風磨くんならやってくれると思っていた。素晴らしいハムレットを作り上げると信じていたし、期待もしていた。だって私は知っているから。彼がとてつもなく負けず嫌いで、努力家であることを。だから彼を信じていた。

それでも、あまりにも有名すぎる作品、役柄に、恐怖を感じていたし緊張していた。私が。

開演直前にトイレに駆け込むくらい緊張していた。私が。

しかしそんなのは杞憂だった。世界的に有名な作品、多くの役者が演じてきた役、初舞台初主演。あらゆるプレッシャーを背負いながらも、彼の、彼だけのハムレットを見せてくれた。それも最高の形で。

何度でも見たいと思った。何度でも、このグローブ座で、菊池風磨ハムレットに浸りたいと思った。

そして、もっと色んな役、色んな演技を見たいと思った。

だからお願い。また舞台に立ってくれ、菊池風磨